未分類 芦別物語掲示板 tama 2024年6月14日 189 コメント 芦別出身の方ならどなたでもお気軽に投稿して下さい。画像も添付できます。 投稿欄は一番下です。初回のみ承認制となります。 只今アバターは自動で付きます。自前アバターに変更可能です。 *関連記事はありません 189 thoughts on “芦別物語掲示板” obihirotaro3 2024年6月22日 at 10:19 AM 今週の月曜日いとこと久しぶりに会いました。 いとこは、私と同学年で中学に私が転校するまでしょっちゅう行き来してました。 玉川に住んでました、今は東京です。 懐かしさで、お互い75歳の年齢からするとこの先再会はあるのかどうか。 話の中で、頼城町には三井の所有地でない、個人が保有している土地があるそうです。 地価は安いと思うのですが、別宅を建てて住みたいと思いました。 かなわぬ夢かもしれませんが。 ログインして返信する tama 管理人2024年6月25日 at 9:46 AM ウーン、ライフラインが問題です。快適に暮らせれば別宅も有りかも。 tama 管理人2024年6月17日 at 9:35 AM 漫画家のささやななえこさんが亡くなりました。 西芦別出身です。西芦を舞台にした作品も複数あります。 ご冥福をお祈りいたします。 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6504577 当サイトのページは↓ https://tama.bona.jp/other/ashibetu-siryo3/ ログインして返信する obihirotaro3 2024年5月28日 at 4:24 PM 未だ、全部読んでないのですが、貴重な写真が沢山ありそうですね。 私は、団塊の世代、昭和24年5月生まれ、牛年です。 先日、75歳になりました。住んでたのは頼城町西町8丁目です。 もう、30年くらい前かな、帯広のパチンコ店で、そろばん塾の田畑先生にお会いしました。偶然の出会いでした。息子さんが帯広に勤めてて、パチンコ店に来てるらしいとのことで、探しに来たそうなんです。 あとは、芦別ゆかりの人とは全く会う機会もありません。 同じ学年の人とか近い世代の人がいればお声掛けください。 ログインして返信する tama 管理人2024年5月28日 at 6:44 PM 西町八丁目は薫風寮のあったところですね。全くの幻の建物です、 obihirotaro3 2024年5月30日 at 4:17 PM >薫風寮 懐かしいですね。寮の南側にソロバン塾がありました。1時間交代で1回20人位教えてもらってました。昭和36年頃、塾の場所が仲町9丁目の会館へ移りました。芦の湯近くです。この会館は葬儀などでその後使われてたと聞いていますが、まだありますかね。仲町に叔母さんが住んでて、平成27年7月に行ってきました。その叔母さんも一昨年亡くなりました。緑泉にあった林商店が叔母さんの店です。叔父さんは林昭次郎です。店も解体して今は更地ですね。 tama 管理人2024年5月30日 at 8:11 PM 林商店 さんにはもう20年ぐらい前に手紙を出して、当時の住民の名前が載った住宅地図があるかどうかを聞いてみたものです。 とても丁寧に答えていただきました。 そうですか もうないんですね obihirotaro3 2024年5月31日 at 4:08 PM >林商店 さんにはもう20年ぐらい前に手紙を出して 奇遇ですね、そう言えば、私の6歳下の、富山にいる弟からその話聞いたことがあります。叔父さんは私の母の実弟です。平成26年3月に84歳で亡くなりました。 obihirotaro3 2024年5月27日 at 5:13 PM 初めまして、頼成を離れて60年経ちました。 中学2年で転校したので、クラスの同級生と再会も無しです。 小学校の恩師沢崎先生、中学校の恩師福永先生を訪ねてからもはや50年。 誰か知っている人と出会えるのを期待してます。 宜しくお願い致します。 ログインして返信する tama 管理人2024年5月19日 at 10:58 AM ページネーションにより全頁をカテゴリ分けして通算表示しています。 下の方に「1~95」表示されています。数えると1147ページありました。 全てのページにナンバーが振れればいいのですが、このwordpressという構成上、投稿順になっています。元々日記の為に作られたものだからでしょう。 ログインして返信する tama 管理人2024年5月19日 at 11:01 AM こんな感じですが。 tama 管理人2024年5月6日 at 10:37 PM gmailをお使いの方に 本日登録希望したのに返信メールが来ないという方がいましたが gmailが当方のメールアドレスをブロックしているようです。 全部戻ってきています。 ブロックを解除してください。 お願いします。芦別物語のメアドは下記です。 https://tama.bona.jp/link-oldtree/mailpage/ ログインして返信する tama 管理人2024年4月20日 at 11:37 AM 1965伸びゆく炭鉱三井芦別3上り芦別鉄道by ashibetsu を再掲載しました。当時の映画フィルムをVHSにVTR化し、さらに現代の動画mpgに変換しています。 この粗い映像データから多くを読み取れるのはここで育った人たちだけでしょう。 記憶と想像力がこの貴重な映像を補完し豊かな思い出につながることを希望します。 ページの一番下にYOUTUBEを埋め込んでいます。 入山停留所の順番が変ですが・・・。 https://youtu.be/2eDmwFUnntw?si=QiHM3hvIDsUi72pq ログインして返信する tama 管理人2024年4月28日 at 6:47 PM 本日1965伸びゆく炭鉱三井芦別の残りの1,2をアップしました。 このサイトのみの限定公開です。これでもうやることが無くなってしまった? https://youtu.be/VBUToB0B0QY?si=QNj1C1QdXxiI06LT https://youtu.be/ASb7gfmdyU4?si=0vvdyJL5_BlF6EaK tabokichi1 2024年4月17日 at 7:01 AM 芦別 炭鉱〈ヤマ〉とマチの社会史、札幌の図書館では既に19人待ちとなっております。 一人2週間以内に返還なので4か月は待つことになりそう。 ログインして返信する tama 管理人2024年4月20日 at 11:31 AM うーん人気ありますね。芦別の本は殆どありませんから。 私も3月に購入しました。ちょっと驚きました。 長谷山さんが選んだ100枚の写真、なんと三井芦別が写っているのはその内10枚足らず。 それも街並みや人々の生活風景ではなく、集会の様子です。 残り90枚は芦別市本町、上芦別等です。芦別市広報担当が撮影とあります。 この本の意図に合わせて選択されたのでしょうか それとも他の深謀遠慮があったのでしょうか。今となっては不明です。 コメントナビゲーション ←古いコメント コメントを残す コメントをキャンセルコメントを投稿するにはログインしてください。
obihirotaro3 2024年6月22日 at 10:19 AM 今週の月曜日いとこと久しぶりに会いました。 いとこは、私と同学年で中学に私が転校するまでしょっちゅう行き来してました。 玉川に住んでました、今は東京です。 懐かしさで、お互い75歳の年齢からするとこの先再会はあるのかどうか。 話の中で、頼城町には三井の所有地でない、個人が保有している土地があるそうです。 地価は安いと思うのですが、別宅を建てて住みたいと思いました。 かなわぬ夢かもしれませんが。 ログインして返信する
tama 管理人2024年6月17日 at 9:35 AM 漫画家のささやななえこさんが亡くなりました。 西芦別出身です。西芦を舞台にした作品も複数あります。 ご冥福をお祈りいたします。 https://news.yahoo.co.jp/pickup/6504577 当サイトのページは↓ https://tama.bona.jp/other/ashibetu-siryo3/ ログインして返信する
obihirotaro3 2024年5月28日 at 4:24 PM 未だ、全部読んでないのですが、貴重な写真が沢山ありそうですね。 私は、団塊の世代、昭和24年5月生まれ、牛年です。 先日、75歳になりました。住んでたのは頼城町西町8丁目です。 もう、30年くらい前かな、帯広のパチンコ店で、そろばん塾の田畑先生にお会いしました。偶然の出会いでした。息子さんが帯広に勤めてて、パチンコ店に来てるらしいとのことで、探しに来たそうなんです。 あとは、芦別ゆかりの人とは全く会う機会もありません。 同じ学年の人とか近い世代の人がいればお声掛けください。 ログインして返信する
obihirotaro3 2024年5月30日 at 4:17 PM >薫風寮 懐かしいですね。寮の南側にソロバン塾がありました。1時間交代で1回20人位教えてもらってました。昭和36年頃、塾の場所が仲町9丁目の会館へ移りました。芦の湯近くです。この会館は葬儀などでその後使われてたと聞いていますが、まだありますかね。仲町に叔母さんが住んでて、平成27年7月に行ってきました。その叔母さんも一昨年亡くなりました。緑泉にあった林商店が叔母さんの店です。叔父さんは林昭次郎です。店も解体して今は更地ですね。
tama 管理人2024年5月30日 at 8:11 PM 林商店 さんにはもう20年ぐらい前に手紙を出して、当時の住民の名前が載った住宅地図があるかどうかを聞いてみたものです。 とても丁寧に答えていただきました。 そうですか もうないんですね
obihirotaro3 2024年5月31日 at 4:08 PM >林商店 さんにはもう20年ぐらい前に手紙を出して 奇遇ですね、そう言えば、私の6歳下の、富山にいる弟からその話聞いたことがあります。叔父さんは私の母の実弟です。平成26年3月に84歳で亡くなりました。
obihirotaro3 2024年5月27日 at 5:13 PM 初めまして、頼成を離れて60年経ちました。 中学2年で転校したので、クラスの同級生と再会も無しです。 小学校の恩師沢崎先生、中学校の恩師福永先生を訪ねてからもはや50年。 誰か知っている人と出会えるのを期待してます。 宜しくお願い致します。 ログインして返信する
tama 管理人2024年5月19日 at 10:58 AM ページネーションにより全頁をカテゴリ分けして通算表示しています。 下の方に「1~95」表示されています。数えると1147ページありました。 全てのページにナンバーが振れればいいのですが、このwordpressという構成上、投稿順になっています。元々日記の為に作られたものだからでしょう。 ログインして返信する
tama 管理人2024年5月6日 at 10:37 PM gmailをお使いの方に 本日登録希望したのに返信メールが来ないという方がいましたが gmailが当方のメールアドレスをブロックしているようです。 全部戻ってきています。 ブロックを解除してください。 お願いします。芦別物語のメアドは下記です。 https://tama.bona.jp/link-oldtree/mailpage/ ログインして返信する
tama 管理人2024年4月20日 at 11:37 AM 1965伸びゆく炭鉱三井芦別3上り芦別鉄道by ashibetsu を再掲載しました。当時の映画フィルムをVHSにVTR化し、さらに現代の動画mpgに変換しています。 この粗い映像データから多くを読み取れるのはここで育った人たちだけでしょう。 記憶と想像力がこの貴重な映像を補完し豊かな思い出につながることを希望します。 ページの一番下にYOUTUBEを埋め込んでいます。 入山停留所の順番が変ですが・・・。 https://youtu.be/2eDmwFUnntw?si=QiHM3hvIDsUi72pq ログインして返信する
tama 管理人2024年4月28日 at 6:47 PM 本日1965伸びゆく炭鉱三井芦別の残りの1,2をアップしました。 このサイトのみの限定公開です。これでもうやることが無くなってしまった? https://youtu.be/VBUToB0B0QY?si=QNj1C1QdXxiI06LT https://youtu.be/ASb7gfmdyU4?si=0vvdyJL5_BlF6EaK
tabokichi1 2024年4月17日 at 7:01 AM 芦別 炭鉱〈ヤマ〉とマチの社会史、札幌の図書館では既に19人待ちとなっております。 一人2週間以内に返還なので4か月は待つことになりそう。 ログインして返信する
tama 管理人2024年4月20日 at 11:31 AM うーん人気ありますね。芦別の本は殆どありませんから。 私も3月に購入しました。ちょっと驚きました。 長谷山さんが選んだ100枚の写真、なんと三井芦別が写っているのはその内10枚足らず。 それも街並みや人々の生活風景ではなく、集会の様子です。 残り90枚は芦別市本町、上芦別等です。芦別市広報担当が撮影とあります。 この本の意図に合わせて選択されたのでしょうか それとも他の深謀遠慮があったのでしょうか。今となっては不明です。
今週の月曜日いとこと久しぶりに会いました。
いとこは、私と同学年で中学に私が転校するまでしょっちゅう行き来してました。
玉川に住んでました、今は東京です。
懐かしさで、お互い75歳の年齢からするとこの先再会はあるのかどうか。
話の中で、頼城町には三井の所有地でない、個人が保有している土地があるそうです。
地価は安いと思うのですが、別宅を建てて住みたいと思いました。
かなわぬ夢かもしれませんが。
ウーン、ライフラインが問題です。快適に暮らせれば別宅も有りかも。
漫画家のささやななえこさんが亡くなりました。
西芦別出身です。西芦を舞台にした作品も複数あります。
ご冥福をお祈りいたします。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6504577
当サイトのページは↓
https://tama.bona.jp/other/ashibetu-siryo3/
未だ、全部読んでないのですが、貴重な写真が沢山ありそうですね。
私は、団塊の世代、昭和24年5月生まれ、牛年です。
先日、75歳になりました。住んでたのは頼城町西町8丁目です。
もう、30年くらい前かな、帯広のパチンコ店で、そろばん塾の田畑先生にお会いしました。偶然の出会いでした。息子さんが帯広に勤めてて、パチンコ店に来てるらしいとのことで、探しに来たそうなんです。
あとは、芦別ゆかりの人とは全く会う機会もありません。
同じ学年の人とか近い世代の人がいればお声掛けください。
西町八丁目は薫風寮のあったところですね。全くの幻の建物です、
>薫風寮
懐かしいですね。寮の南側にソロバン塾がありました。1時間交代で1回20人位教えてもらってました。昭和36年頃、塾の場所が仲町9丁目の会館へ移りました。芦の湯近くです。この会館は葬儀などでその後使われてたと聞いていますが、まだありますかね。仲町に叔母さんが住んでて、平成27年7月に行ってきました。その叔母さんも一昨年亡くなりました。緑泉にあった林商店が叔母さんの店です。叔父さんは林昭次郎です。店も解体して今は更地ですね。
林商店 さんにはもう20年ぐらい前に手紙を出して、当時の住民の名前が載った住宅地図があるかどうかを聞いてみたものです。
とても丁寧に答えていただきました。
そうですか もうないんですね
>林商店 さんにはもう20年ぐらい前に手紙を出して
奇遇ですね、そう言えば、私の6歳下の、富山にいる弟からその話聞いたことがあります。叔父さんは私の母の実弟です。平成26年3月に84歳で亡くなりました。
初めまして、頼成を離れて60年経ちました。
中学2年で転校したので、クラスの同級生と再会も無しです。
小学校の恩師沢崎先生、中学校の恩師福永先生を訪ねてからもはや50年。
誰か知っている人と出会えるのを期待してます。
宜しくお願い致します。
ページネーションにより全頁をカテゴリ分けして通算表示しています。
下の方に「1~95」表示されています。数えると1147ページありました。
全てのページにナンバーが振れればいいのですが、このwordpressという構成上、投稿順になっています。元々日記の為に作られたものだからでしょう。
こんな感じですが。
gmailをお使いの方に
本日登録希望したのに返信メールが来ないという方がいましたが
gmailが当方のメールアドレスをブロックしているようです。
全部戻ってきています。
ブロックを解除してください。
お願いします。芦別物語のメアドは下記です。
https://tama.bona.jp/link-oldtree/mailpage/
1965伸びゆく炭鉱三井芦別3上り芦別鉄道by ashibetsu
を再掲載しました。当時の映画フィルムをVHSにVTR化し、さらに現代の動画mpgに変換しています。
この粗い映像データから多くを読み取れるのはここで育った人たちだけでしょう。
記憶と想像力がこの貴重な映像を補完し豊かな思い出につながることを希望します。
ページの一番下にYOUTUBEを埋め込んでいます。
入山停留所の順番が変ですが・・・。
https://youtu.be/2eDmwFUnntw?si=QiHM3hvIDsUi72pq
本日1965伸びゆく炭鉱三井芦別の残りの1,2をアップしました。
このサイトのみの限定公開です。これでもうやることが無くなってしまった?
https://youtu.be/VBUToB0B0QY?si=QNj1C1QdXxiI06LT
https://youtu.be/ASb7gfmdyU4?si=0vvdyJL5_BlF6EaK
芦別 炭鉱〈ヤマ〉とマチの社会史、札幌の図書館では既に19人待ちとなっております。
一人2週間以内に返還なので4か月は待つことになりそう。
うーん人気ありますね。芦別の本は殆どありませんから。
私も3月に購入しました。ちょっと驚きました。
長谷山さんが選んだ100枚の写真、なんと三井芦別が写っているのはその内10枚足らず。
それも街並みや人々の生活風景ではなく、集会の様子です。
残り90枚は芦別市本町、上芦別等です。芦別市広報担当が撮影とあります。
この本の意図に合わせて選択されたのでしょうか
それとも他の深謀遠慮があったのでしょうか。今となっては不明です。