芦別物語

川岸小学校記事

■川岸小学校1964年(S39)     by ganpunmaki

後の卒業式を迎えたときの川岸小学校

川岸町の佐々木芳夫さん 町内会館となった地域文化の中心地 昭和20年、川岸が開拓され、子どもたちが頼城の学校まで通うのはたいへんだということで、昭和22年に開校した頼城小学校川岸分校。

4年生までを教えていた分校に、渡り廊下で結ばれた町内の集会所が建てられ、それが教室として利用できるようになった昭和32年には、川岸小学校として独立しました。 「当時は集会所なんてないから教室を借りて部落の集会をしていたんです。 酒飲んだりして、夜中までやっていてね。 教室の隣が先生の住居だから、うるさくてたいへんだったようで、使わせてもらえなくなったんです。 それで部落の集会所を建てて、教室としても使えるようにしたんです」と、 川岸町の佐々木芳夫さん(73歳)は、懐かしそうに、いきさつを語ります。
8期68人が卒業した川岸小学校は、昭和40年3月で閉校になりました。 このときのことを佐々木さんは、「建物が古くなって危険校舎に指定されたんです。 建て替えも要望したんですが、「これからは児童数も滅少するし、頼小までスクールバスで送り迎えするから」と市からもいわれましてね。 子どもの将来考えても、小さい学校より大きな学 校に通った方がいいだろうということで閉校に同 意したんです。 当時は学校といえば、部落の文化の中心だし、心のよりどころでもあったから、反対の声もあったけどねえ、」と語ります。 小学絞の教室としても使われていた集会所は、 今は町内会館として、川岸の人々の活動の中心地 となっています。
広報「星の降る里あしべつ」H12年12月1日号より 資料提供 岩粉撒き氏

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