芦別物語

2003甦る三井芦別鉱記事

■三井芦別写真寄贈記事 2003年(H15)4月18日 by ganpunmaki


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一九三八年(昭和十三年)に開鉱し、九二年に 閉山した三井芦別鉱の関連施設の写真などが、市内の 「星の降る里百年記念館」(堀川徹館長)に寄贈された。

写真からは、戦後復興期の日本のエネルギー政策を支えながら、地域社会を形成していく石炭産業興隆期の姿が伝わってくる。 貴重な資料の一部を紹介する。 三井芦別鉱は水田などが広がる静かな農村だった西芦別、頼城地区の土地を買収して開発された。 戦後になると、国策による石炭増産と樺太からの引き揚げ者の受け入れなどで人口は急増した。
三九年(昭和十四年)に四百十五人だった地区人口は五三年に二万五千人を超えた。 資料を寄増したのは元市職員の佐藤隆生さん(67)市内南三東二。佐藤さんの父、松太郎さん(昨年九月、九十四歳で死去)は戦前から戦後にかけ、工事監督として 従業員住宅や福利厚生施設などの建設に携わった。 建築中や、完成前後の施設の姿を写真に残したほか、図面なども保管していた。 写真は主に戦後になって開発が本格的に進んだ、頼城地区の施設が中心。 工期、建設費など、のデータも添えられている。
かつて同鉱の坑内員として働き、フリーカメラマンの傍ら市文化財保護審議会委員も務める水田忠信さん(70)市内上芦別町は「私が頼城に移った五〇年頃も盛んに 炭住を建てていた。それでも、入居できない人も多かった」と当時を振り返る。 「施設建築の記録としての意昧合いが強いようだ。 しかし、古いものだけに、よく残っていたものだ」と驚いている。
星の降る里百年記念館の長谷山隆博学芸員に写真の資料的価値や今後の公開などについて語ってもらった。 記念写真が多いようだ。それでも、頼城小の木造校舎工事の写真は初めて見た。 立面図まであり、建築に携わつた人ならでぱの資料といえる。 一九四七年に着工した校舎は、五三年に焼矢レた。 炎上中や、焼け落ちた際の写真もあるのには驚いた。 炭住の建設風景も珍しい。二戸建ての坑員住宅だ。 国策による石炭増産体制下で、坑員の生活環境改善を一気に進めよう とする状況がよくわかる。生活物資などを提供した配給所、保育園、福利厚生施設の二坑会館などの完成前後の写真もある。 すでにこれらの施設は現存しないから、当時を知る人にとっては、大変、懐かしい写真だろう。 写真は今後、複写したうえで拡大し、市民に見てもらう機会をつくりたい。 また今後、.三菱や明治など、芦別にあった他の炭鉱関係の写真を所有す る人がいたら、ぜひ提供してほしい。.
当時の新聞記事「北海道新聞」 平成15年4月18日 ○資料提供岩粉撒き氏

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