芦別物語

1973社内時報05

■社内時報1973(S48)長谷川繁 by nisityu-tyutai?
ズリ山
炭坑ここにあり。雪化粧した山肌にここかしこ黒地 から白く湯気の揺らぎが見えて雪のズリ山は今日も 呼吸をしている。昭和に生れ現に育ちつつある真黒 い山はヤマの歴史と共に生き統けるであろう。 ところ変った九州ではボタ山の名で親しまれている と聞く。

冬のズリ山優雅
女の子も正月はうれしいのだろう。花カンザシ花 模様の晴着をきれいに着飾ってショールに首と肩を 埋め防寒ぞうりでの雪道姿は松の内にふさわしく至 極カッコイイ! カメラを向けられていくぶん緊張気 味だった. 伝統の日本情緒はまだまだヤマにも生きている.

正月の少女(山内茂氏撮影)雪の子
北海道の子供は雪の子で冬将軍もなんのその。雪と 氷にはだんぜん強い.今昔変りなく雪ダルマ作りや カマクラ遊びに夢中になっている風景はほほえましい 野球のできないのが残念らしい。山焚炭割り 雪の朝の除雪と山焚炭の凍り割りとは北国育ち の我々でも一苦労だ。家族みんなの手肋けを必要とす る。 だが古老は苦言する「昔は一晩に三尺以上の降雪 は日常だった。今は雪も少なくなリ暖かくもなった」 とハッパをかけられている。事実そのようだ。

山焚炭の雪割り南から北へ
九州田川から渡道した人々もみんな元気だ北海道 の冬にも慣れたらしい。なかにはこちらで娘さんがお 嫁さんになり円満に暮している。北国の寒さなんか平 気らしい。 南九州での思い出 戦時中小生もしぱらく門司で幕したが雪もなく 暖かくしのぎやすく住みよいところだった。三池よリの来客 この正月には在京中の長男と共に冬休みを利用して 訪れる三池の友達には北国特有の雪の情緒を存分に 満喫させてやりたい。住めば都 上砂川も実にいいところだったが芦別も住むほどに 人情味の豊かさを覚えるいいヤマだ。 松飾り納め 松飾は七草と小正月に取って焼くが、ここでは15日に納める家が多い。 年々歳々瞬く間に過ぎるのが正月の日々である。 「更に前進輝く芦別」昭和48年もますますヤマは栄えるであろう。 (筆者は同所労務課管理係員)
資料:三井鉱山社内時報1973.01 提供 西中中退?氏

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