芦別物語

1969社内時報12

■社内時報1969年(S44)12月 by murono
入社して7年 芦別 室野コマ子
————————————— 月日の経つのは早いもので人杜して以来丸7年間人事課杜宅係窓口に勤めて参りましたが戦争中勤めていない者は非国民とされましたのが気持ちの上に幸して37才より今日まで何とか過して参りました。 昨年の4月より総務の窓口と一緒になり正面玄関の受けにおります.山焚炭 薪 社宅の修理 汲取りと奥様方の苦情引受け所. 何時か酔ぱらいのやくざが「所長に会いたい」といってきとっさに「留守です」と嘘をついて心臓をドキドキさせ大塚係長~にバトンタッチ致しほっとしたこともあり改めて色々な人達が見えるのに感心しました。
今では子供さんの顔を見て親の各面が浮かび何班の誰々さんと分ります。 私も従宅に住んでいる関係上どうしても職宅と比べてしまいます.この頃では従宅に住んでいる方々のが家の改造と同時にステンレスの流し台新しい家具カラーテレビ等で家を飾ざり楽しんでおり 職宅の奥様の方がずっと地昧で「流しが洩るから取替て下さい」といって参ります。 人問各々の生き方 職宅の方々は何時転勤になるか分らないということもあるんでしよう.従宅の奥さん達は田園へ行って働き家具を買う生活力の旺盛さ 感心致します. 我が家も唯今改造中で今年は新しい家で年を迎えそうです。でもステンレスの流し台も新しい家具も3人の子供の教育費に使われて買えそうもありませんが戦争中空襲に会った時の体験からなのか物ぐさな性格なのか欲しいと思わないので困ります.
釧路で生れ育ち22年の春に芦別に参りましたが途中37年に主人を亡くしました.当時の友達も今は数える程になりましたが良い 方々に恵まれ また親切な隣人に恵まれ 末の子も来春には高校を卒業する程に大きくなりました。 上の子供達も「母さんや弟達のことを考えるとゲバ棒も持てない」といって私立大学ですが頑張っている様子ですので子供を信じ安心して暮しております. これも会社の遺族に対する暖かい心遣いと良い隣人友入の親切のお陰と感謝の気持で一杯です.不断いそがしく芦別から離れた方々にも御無沙汰しておリます。 頭に白いものが混じって参りましたが元気で働いておりますので今後ともよろしくご指導下さいますようお願い申し上げ 三井鉱山の発展を祈り筆を置かせていただきます。 (著者は同所総務課人事係勤務)
資料:三井鉱山社内時報1969.09 提供 murono氏

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