芦別物語

頼城中学校の歴史

■頼城中学校の歴史 「耀風」より  by ganpunmaki

昭和22年5月1日、学制の改革により、頼城小学校に併置されて頼城中学校として発足した。
翌昭和23年1月10日、新校舎が完成し独立した。
27年12月に屋内運動場完成、その後三井石炭の二坑地区の開発の進展に伴い生徒数も急増、 30年、36年と教室の増築を行い、38年12月には、第一線校舎4教室と体育館、その渡り廊下が完成した。 この様にして学校は次第に完成してきたが、42年2月15日火災の発生により第二線校舎十四教室を焼失した。
新校舎は43年11月19日、鉄筋コンクリート建により11教室を落成させ、開校二十周年記念式典を盛大に行った。 この時期以降学級数児童数共々減少を続けあたかも炭鉱の行末を暗示するものであった。
52年9月念願であった屋内体育館床面全面張替が施工されこの場所で同25日開校三十周年記念式が挙行されたのである。 この年学級11、生徒数383名から後も減少を続け、62年学級数6、生徒数125名となり、8月1日には歴史を刻んだ特殊学級も遂に閉級となった。
63年以降学級数は三で推移しこの年生徒数74名、平成4年、ヤマ閉山の年は生徒数34名、そして平成5年4月1日には生徒数33名でスタートを切る事となった。
尚、昭和62年は開校40周年の年であったがこの年6月ヤマの大合理化があり従業員のほぼ三分の一、487名にのぼる希望退職者があり、公式の式典を自粛したものである。 累計6842名の卒業生を送り出している。
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追記:上記は1990年閉山時の記録です。
その後、1996年8月に西芦別中学校に統合、閉校。tama記録
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頼城中学校校歌  作詞 遠藤宏、 作曲 千葉日出城
1、芦別の流れも深き緑泉の 丘の上高く学舎そびゆ
希望の星にみちびかれ 潔き節操をほこりつつ
ともに学びて北国の 文化の光を讃うかな
ああ頼城の我等が母校

2、山脈に降り積む雪の旦にも 猛きこころの若人はたつ
雄々しき自然に育まれ 崇き理想をいだきつつ
ともにはげみて人の世の 栄ある前途を祝うかな
ああ頼城の永遠の幸
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資料 三井芦別労働組合 解散記念誌「耀風」より 提供 岩粉撒き氏

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