芦別物語

1964.10西芦大火記事

■西芦別商店街大火記事 昭和39年10月20日(火)by yamamoto

北海道新聞(夕刊)より 右は火災現場見取り図拡大(斜線は焼失箇所) 以下記事
20日午前3時15分頃芦別市西芦別町1、ふみや雑貨店の階下集合煙突ふきんから出火。 風は無かったが付近は家屋が密集していたため火はたちまち燃え広がり同店を含め木造モルタル2階建て12戸、 木造平屋建て10戸の両マーケットの他店舗兼用住宅など11戸、合計13棟、33戸(うち1戸は非住店舗) 延べ約3800平方メートルを全焼、同6時すぎ消えた。 付近は戦後同炭鉱が本格的に開発を始めてから急に発展した商店街で古い建物が建てこんでおり、 道路も狭いため意外に火の回りが早く消防ポンプ車が駆けつけたときにはすでに火元は火の海に包まれていた。 とくに簡易マーケット2棟に燃え移った火勢は無風にも拘わらず9台のポンプ車では手のほどこしようもない状態だった。 だが一坑会館、三井芦別労組本部、芦別西芦別警部派出所、西芦別郵便局、 三井芦別駅など公共建築物は延焼を免れた。 被災者はいずれも食料品、雑貨電気、時計、薬、家具、食堂、などの商店だが、 熟睡中だったので殆どの商品を焼き、着の身着のまま避難した。 同商店街町内会、三井芦別鉱業所、同鉱労組合三者合同で、同労組合内に被災者救援対策本部を設け 被災者をあいた炭住に収容、炊き出しを続けているが、 炭鉱の不景気もどうにか落ち着きこれからといった、商店街だっただけにショックは大きかったようだ。 市内では36年6月15棟42世帯を全焼した芦別駅前繁華街の大火に次ぐ惨事で市でも救援対策を協議している。 一方、芦別署はただちに現場検証をはじめ、出火当時の状況を聞いてぃるが、 原因は集合煙突のタールが過熱、燃え出したものらしい。損害は1億円に達するものと見られる。 被災世帯次の通り 食料品店 大山又吉、 洋品店 種房、 同 浅見、 魚菜店 安部小三郎、 菓子店 村谷実、 洋品店 斉藤正男、  呉服店 福岡作次郎、 時計店 山本昌利、 洋品店 北村善男、 電気器具店 家村昇作、  呉服店 北橋秀之、 食堂経営 秋山大十、 青果物店 泉田芳一、 同 前田伊雄、  食料品店 藤永フクエ、 同 田辺茂春、 同 熊谷之彦、 菓子店 斉藤トミ、 青果物店 後藤時雄、  はき物店 藤井久男、 菓子店 葛西征雄、 時計店 藤井増男、 金物店 菅原道雄、  薬品店 竹田一雄、 洋服仕立て業 服部吉伸、 飲食店 浦滝としほ、 同 野沢、 電気器具店 吉本正一、  とうふ店 井野繁雄、 食堂経営 大野、 洋品店 三島芳郎、 雑貨商 清藤 以上32世帯
提供:西芦別商店街 山本時計店 店主山本昌利氏より (現在札幌在住)

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