芦別物語

1997.05坑夫の像解体

■旧「坑夫の像」解体  1997年(平成9年)5月20日by ganpunmaki

1997年5月21日(水)新聞記事より

「広報星の降る里あしべつ」平成7年12月1日号より 文:斎藤正男(芦別郷土史研究会会員)以下抜粋 1944年(昭和19年)、戦時下の国策として彫刻家や画家などを集め、 「軍需産業美術推進隊」が結成されました。中略。 こうして同年夏、三井芦別鉱業所に古賀忠雄氏、木下繁氏、園鍔勝三氏、中村直人氏など、 後に日本を代表する彫刻家たちが訪れます。 当時、三井系の炭鉱では、上砂川、夕張、九州三池などにそれぞれ「坑夫の像」が建立されました。 この像はその中の一つです。しかし二人の坑夫像は日本でただ一つ、 この像だけであり大変貴重なものだと評価されました。 なおこの像にはモデルがおり、右側が当時の大先山の木下政太露さん、 左側が同じく山口興五郎さんです。 二人の像は太陽が昇る東の方角を見ており、左の像が指差しているのは日の出だと思われます。 また台座の正面に正方形のくぼみが残っていますが、 「飛躍」または「飛翔」の文字を記した陶板が据え付けられていたようです。 追記(新聞記事より) 1997年(平成9年)5月11日頼城ふるさと祭りに合わせて、 御影石製の「坑夫の像」の複製が頼城町に設置された。
このページの資料は全て 提供:岩粉撒き氏によります

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