芦別物語

東1条1丁目炭住

■西芦別 東1条1丁目の炭住  1967年(S42)頃by oi

昭和14年西芦別に鉱業所事務所が落成し、本格的な開発と共に従業員の住宅建設が 雪解けを待って開始された。住宅は1条4丁目から3丁目、2丁目と進められた。 二階建て四軒長屋、台所と8畳一間、二階が6畳間(子供の多い家は二間の押入れが寝室となる)外便所、共同水道は四棟16軒で使っていた。当時二階建ての炭住なんてハイカラな建て方だった。 家具が少ないから(8人家族の引越しが馬車1台で済んだ)6人家族でも住めたが、 7人家族以上は二戸貸しとしていた。 二舎と三舎の仕切りはベニヤ板一枚(冠婚葬祭時は簡単に広げるが内緒話はつつぬけだった) 戦後、階下を一部増築し、内便所、各戸水道が全戸になったのは昭和33年(1958)頃だった。
三井芦別労働組合 解散記念誌「耀風」より 撮影提供 おい氏禁無断転載複写

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