芦別物語

どうして二人は友達になったのだろう

私には友人が少ない、ほぼいない。
それでも中学時代からずっと続く友人がいる、ヤマヒョウだ。親友だった。
今では過去形になった。
何度も入退院を繰り返し、やきもきしていた。ここのところ小康状態でしばらく心配せずに済むと油断していた。
少し間があくと電話しなきゃ、と心の声がせっつく。
前回のときも心配になって電話したらおねえさんが出てきて、入院してると言われた。
会社の近くの順天堂大学病院にいた。大病で手術した後だった。

今回もまたしても心にせっつかされたけれど
電話しても元気だよ、また奴の得意な世界情勢の話を電話口で延々と聞かされるだけだよ、そう思ってはやる心を押しとどめていた。

3日前の夜、自宅でシャワーを浴びながら二人の共通点は何だろう、何故友達になったのか、などとぼんやり考えていた。
その内何故か思い出話を彼の葬式で話している自分に気付いた。
反応が無いので振り返るといるはずの聴衆は誰もいなかった。
途中で縁起でもない、やめやめと考えるのを止めた。

その翌日だった、昨晩ヤマヒョウが亡くなったと姉上から電話があった。
やっぱり順天堂だった。すぐ近所だった。
ここのところ衰えている自分の第六感が恨めしかった。気付けば飛んでいったのに。
無念。

二人は練成中学校の1年生で出会った。
今は少子化で廃校、当時は番町小学校>麹町中学>日比谷高校>東大と続く
母親憧れの進学コースの次の2番手くらいに位置していた。
ま、そこに乗りきれなかった人達の予備コースだったのかも。

東京周辺の各小学校の一番ばかりが集まってきていた。
エリートの匂いプンプンの子どももいた。
異様な雰囲気に私は初っ端から出遅れ落ちこぼれそうになっていた。
学校というのは何もしないで遊んでいればよい成績を貰える所と感じていたのに
ここはまるで違った。
二人とも異質の電波を体中から発信し、身を守ろうとしていた。
二人は同じコンプレックスを持っていた。
異常に強い父親の影、それも社会に隷属するか拒絶するか決めかねていた父親の強い否定的なイメージを背負わされていた。
私は物事を決め、人生の規範となる考えを持てずに、どうやって生きていこうと立ち尽くし、
彼は、自分の将来立つべき場所のイメージが掴めず、ただ逃げる事を考えていた。
弱く傷ついた者同士だった。

目の前で起きる事に、怒るか黙るかの選択肢しか持たずいつも周囲と衝突していた私に、かれは適切に一つ一つ対処し、考えもつかない言動で生きる事、対応する事を教えてくれた。
すごい奴だ何ていい奴なんだ。彼を真似すればきっと生きていける。そう感じた。

50年も前の話だ。黒い古い木造のおんぼろ列車に乗っていつも二人で、江戸川を越えるのを常磐線の窓から心待ちに見ていた。
流れる川面のきらめき、それを越えたら東京の汚い風景は一変し、千葉の緑溢れる別世界に列車は突入していった。
帰っていく場所だった。
彼は社会科が得意でいつも世界情勢を語っていた。
お蔭で不得意な社会の点数が上がっていった。
私は外に向く関心事が無く、かといって何かを考えるわけでもなく思慮の足りないひねくれた子供だった。
続く。
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