芦別物語

窪田登先生のこと

ネットを見ていて窪田先生の訃報を知った。もう1年も前らしい。
特別に親しいわけでもない、けれど人生の分岐点で会うことのできた印象的な人だった。
1972年、私は早稲田大学の新入生だった。1年生だから専門外の体育やその講義を受けなければならない。講義リストに目を凝らして探すと、ありました。
ウェイトトレーニングという名前の授業だと思っているけれど違うかもしれない。ウェイトリフティングかも。とに角高校では決して無かった授業にワクワクして挑んだ。
長い受験勉強から開放され飛んで行ったのは早稲田の文学部裏、小さな木の小屋が教室だった。授業というよりサークルの部室みたいだった。実際バーベルクラブという伝統のあるクラブの部室だったような記憶がある。
その木造の壁の隙間から木漏れ日のように日がさす教室で窪田先生に会った。
生徒は僅か10数人だったような。当時、バーベルを持ち上げたいなどという酔狂な学生は殆どいなかった。ボディビル=気持ち悪いと思われていた時代だった。

逆光の中、その人は現れた。人懐っこい顔に丸まっこい体、そこから足のような腕が見えていた。人間の規格外の体だった。
おだやかな低く伸びる声で先生は自己紹介してくださった。ミスター日本の第1回、ローマオリンピックに重量挙げで出場したと言われ、生徒の中でも55kgくらいのやせた学生を指しして、君をこれから小指一本で持ち上げて見せるから、というや気合もろとも頭上に押し上げた。
昔の力持ちのサーカスみたいだった。気さくで優しい先生だったがトレーニングを怠るとこちらを見る目がすっと冷たくなった。

当時の私は高校に入学した頃、鏡に映った貧弱な自分の体に愕然とし、もっと体を大きくし美しいプロポーションの体になりたいと熱望するようになった。
全くの自己流だった。後から先生の自伝を見ると同じような方法だった。
腕立て伏せから初めて、裏庭にあった物干しの固定用の基礎コンクリートをこっそり部屋に持ち込み、これまた親父の足乗せ台を失敬してきてその上でベンチプレスに似た運動していた。
やがて物干し台では重量が物足りずに道路わきに落ちていたコンクリート側溝の大きな塊にさらに小さな塊を針金で縛り付けて、ブロックで組んだ台でやはりベンチプレス風のことを裏庭でやっていた。
そのお蔭で高校入学時には79cmしかなかった胸囲が2年生の時には95cmになり高校卒業時には1mを超えていた。体重は60kgのままだったのに。
そんな私に窪田先生は真っ先に目をつけてくれた。他の生徒は体は大きくても通常の太り形の体型だったのに私一人が、なりそこねのビルダー体型だった。

君ちょっと来て皆にポーズをとって見せてあげたまえ、といい広背筋を膨らませるポーズをとり一回転させられたりもした。
「もっと鍛えればずっと下のほうから広背筋がついてくるよ」とおっしゃった。

同時に受けた保健の授業も窪田先生だった。授業名は忘れてしまった。健康とウェイトトレーニングを合わせた様な名前だった。こちらは女子学生もいて通常の教室で行われた。

先生はたまに悪戯心を起こして、「諸君の中にもウェイトトレーニングが大好きで、こっそりやってる人がいるんじゃないかな~、」と捜す振りをして「君もそうだったよね!」と大声で私を嬉しそうに指差したものだった。
何かと目をかけて頂いたのにそれに全然答えることも無く、入学したばかりの羽の生えた新入生は夜な夜な遊びまわっていた。

そんな私に「あまり飲みすぎてはいかんよ」と心配そうに声をかけて下さった。
当時の私は精神的にも幼く、大人には反発するもんだと決めて掛かっていた。

何のお礼を言わずに単位を貰って授業を終えてしまった。そうして45年が過ぎ、少しは人の縁というものが分かってきた頃先生の訃報が目に入った。

何とも自分が情けなかった。あんな素晴らしい出会いのチャンスは2度と無いのに。
せめてしっかりお礼だけでも言っておけば良かったと後悔が体を満たす。
せめて先生の書かれた本を読もうと100冊もの中から「肉体改造と体力増強の仕方」を購入した。

自伝的な内容が多く、人となりを今になって知ることが出来た。
読み終わると若木竹丸という伝説的なビルダーのことを書いた連載があると知った。こちらも俄然読みたくなった。
月間ボディビルディングというマニアしか手に取って購入しそうも無い雑誌、それも2006年度の6冊分、アマゾンで捜したけれどようやく1冊が4千円で出ていただけ。
でも読みたい、ここまで来たら勢いだ。
10年以上遠ざかっていたヤフーオークションに目をつけて捜したら、何とありました。その雑誌を含む10冊が丁度出品中!急いで新規に会員登録してオークションに入札する、期待していなかったのに競争者は現れず落札、全部で三千円。しかも着いて見たらピカピカの新本同様でした。
ここまでわずか3日。導かれたみたい。

全部読み終えて、天国の窪田先生にお礼の意味をこめて書いています。
私はあれから本格的なトレーニングをやめてしまい、もっぱら健康増進のために続けてきました。

お陰で自分では不滅の体力だ、などと叫びつつハードな設計の仕事をこなし今まで元気にやってこられました。

出会いって不思議ですよね。人を避ける傾向の強い私でも、人の温かさに触れずにはいられません。

先生には10年前に中野の地下鉄駅でお会いしたような気がします。前を歩く丸く膨らんだ背広の後姿、圧倒的な存在感は多分そうだったのでしょう。追いかけたけど改札で見失いました。

私もあの時、自分に与えられた建築という職業を見失いかけていたのです。
ご冥福をお祈りいたします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

画像添付