芦別物語

引きこもってしまった君に

親戚に引き篭もりの男の子がいる。
直接会って話したいのだがそもそも外に出てこない。
父親に似て背の高い色白の子だ。
といってももう30になる。

奥様の友人の子供にも同様な男の子がいる。二人は年も近い。
就職氷河期で思うようにならず、心に傷を負った子供達だ。

周囲の大人たちはきっと沢山のおせっかいを焼いているだろうから
その手の事は言わない。
私に出来るのは自分のささやかな体験を話す事だけ。
もし男として生まれ、男として生きて、死んで生きたいのなら
少しだけ読んで欲しい。

私も大学にはすんなり入ったけど出るときは長引いた。
留年を繰り返し最期は大学からも就職では見放された。
3年半も留年し、異例の7年生で9月の卒業となった。
卒業証書は事務室のカウンター越しに事務局のおっちゃんがまるで遺失物を手渡すように丸めてほいと渡してきた。
セレモニーも祝いの言葉もあるはずは無く厄介払いしてせいせい、という雰囲気の中だった。

建築学科では卒業制作に最優秀賞が授与される。有名な建築家の名前をとった賞だ。
それを取り、自分こそがこの大学で一番なのだと世間に証明し社会に胸を張って出て行きたかった。
それ無しには到底身一つで出て行けなかった。怖かった。
心の奥に描かれている社会に対するイメージは全世界全てが腹黒い敵だった。
単身出て行って戦えるだけの自信も無かった。
その為に1等賞が必要だった。
そして留年生活に突入した。

自分なりに孤島をイメージし巌流島に篭り鍛えるつもりだった。
宮本武蔵に倣い、毎日スケッチブックを開き、年に1000枚以上の建築画を自分に課した。
建築家になるために世界の建築を模倣し、外部の写真だけで内部も自由に描けるように訓練をつんだ。
誰よりも早くうまく透視図を描き複雑な三次元を瞬時に描けるような独自の透視画法も身につけた。
周りに出来る人は誰もいなかった。

ガラパゴス諸島に篭り独自の進化を図る生物みたいだった。
世間の誰一人認めてはくれなかった。
担当の教授もやがて声を掛けてくれなくなった。
たまに行くと、実家を継ぐつもりですかと聞かれる。
そもそもそんなものは無いと答えると穂積教授は悲しい顔をしてウサギのように首を振った。

そして1年、2年、3年と経つ内に友人は職を替え、結婚する奴も出てきて、
式に呼ばれたけど当日駅に向かう途中で何故かDIYの工具箱を買って帰ってきてしまった。
親からやっと貰ったご祝儀だった。
何でも良かった。行かないで済む理由があれば。

自分が恥ずかしく惨めだった。

遠くから従兄弟が初めて私に会うために実家に来てくれた。
結婚して近くに住むという、挨拶だった。
あわせる顔もなかった。
自転車に乗って家の周りを遠巻きにぐるぐる怯えた犬のように回った。

身体だけは鍛えたけれど自暴自棄にもなり医者にも掛からず、歯も磨かず、風呂にも入らなくなった。
そのせいで大事な奥歯を2本も失った。今でも歯医者に行くと他は全部揃った丈夫な歯並びなのにどうしてこの2本欠けてるんでしょうと不思議がられる。
怠惰と慢心と自棄の結果だった。

オイルショック後の景気の良くない時代で新卒でもない私に就職の口は無かった。
このままでは駄目になる。日々追い詰められていった。

夜の砂浜に立っていると、美しい月影を背に核ミサイルが超低空で自分に向かってくる夢を見続けた。
もうだめだと思い始めた頃、士官学校出身の親父が昔の陸軍の伝を頼って
東京電力系の親設計事務所と下請けの事務所を探してくれた。

面接に行った。それまではどうして今まで働かなかったのですかと問われてばかりだったのが、
2つの設計事務所の所長と事業部長は黙って、唯一の作品である浮世離れした私の卒業設計図面を見てくれた。
二人とも息を呑むのが分かった。
その瞬間、あっ合格だと思った。

もっとも親父が従前に頼み込んでいたのだろうけど。
それ以前も似たような状況で落とされ続けていた。
新卒でなけりゃ、中途なら実践力が欲しいんだよ、君経験は?
そんなケント紙にロットリングで描かれた図面を持ってこられても困るよ。
プロは皆、トレペに鉛筆で青焼きなんだよ。
そう言って断り続けられてきた。
だから、スイッチが変わったのが分かった。

後から知った事だけれど、子会社が5年面倒を見たら親会社で正社員で引き取るという図式だった。
勿論それまでに一人前になっているのが大前提だけど。
そんな事は知らず、毎日羽が生えたように新しい事務所に通い続けた。
うれしくてしょうがなかった。
社会は自分の敵ではなかった。そればかりか年の近い設計事務所の所員達はすぐに兄弟のように迎えてくれた。
いささか年の食った新入社員だったけど。

先輩の保原さんが仕事も全般も面倒を見てくれた。
徒弟制の名残が未だあった頃だ。
生意気で自分が一番だとまだ思いあがっている扱いにくい私を可愛がってくれた。
所長もいつも目を細めて暖かく見守ってくれた。
事務所一の遅刻魔で年休を遅刻で帳消しにする名人だったけど
一度として注意された事が無かった。
ただいつも笑っていた。
親会社に出向している外部社員には鬼のように恐れられていたのに。

27歳でようやく社会人になってから5年が経っていた。
親会社からついに呼び出しが掛かり、外部出向社員という形で
初の正社員になる進路にすえられた。
皆が祝い送別会を開いてくれた。
もう戻れないはずだった。

ところが1ヶ月でさっさと東京電力系の親会社を辞めてしまった。
半官半民の会社は役所内部のように甘ったるく、チャン付けで呼び合い、一日に3回も外で公然とお茶の時間があった。
それでいて5時からハチマキをしてさあ残業。
フクシマの原子力発電所の図面も描かされた。
そんな彼らに青臭い建築論議を吹っかけ、片っ端からケンカを売っていった。
民間の設計事務所の真の意気込みを見せてやる、とか何とか。

古巣に帰っても違和感は否めなかった。
理想だけ振りかざしても肝心の建築の注文が無いではないか。
実績も溜まらずここにいたら駄目になる。

ようやく気付いた私は折角戻った会社もやめ、ついでに実家も出て
遅まきながらようやく人生の意味を見出そうとし始める。

念願の一人暮らし。
もう33歳になっていた。
打ちっぱなしのコンクリートのマンションにパイプの家具。
そのイメージだけ持って家を探し始めた。
そんな賃貸住宅、30年前の当時あるはずも無かった・・。
ところが最初の不動産屋でちょっと変わった物件があり、
誰も入らない、といわれて見たのがイメージ通りのドンピシャ建物だった。

女性の建築家が大家さんで子供は高校生の娘が二人、犬が一匹。
住人も若い女性が半分。周囲の家から顔をのぞかせるのはいつでも若い女の子ばかりだった。

酒と薔薇の日々。これがそうでなくて何だろう。
深夜に浜田省吾をかけ、酔っ払いながらシチューを作り始め
年上からずっと年下まで可愛い女の子たちと人生を濃密に分け合った。
柔らかい肌に埋もれ、朝までPCでプログラムを組み続けた。
毎日が飛んでいた。相変わらず社会を敵と定め、戦いを挑みいつでも負けて帰ってきた。
コンクリートむき出しのわずか8畳の洋間一つ、4mもある天井。
ロフトに上り隠れ家ゴッコを楽しみ、今が今でしかない事に気づいていた。

そして時代はバブルに向かう。
その頃通っていた目白のおしゃれな設計事務所の近辺では日々建築工事現場がうなり、
30mおきに青い囲いが通りを埋め尽くしていた。
目白通りに波が溢れ、そこでビルの谷間でサーフィンをしている自分が見えていた。

狂っている。それに長くは続かない。
だから今のうちにもう一度飛ぼう、と決心する。

バブルでは人手が足りず、経験者は引く手あまた。
卒業時にはあれほど苦労したのに受けるところ片っ端から受かっていく。
有名事務所&大事務所、給料も望むがまま。
こうして次のステージに上り大きな仕事を次々と任せられた。

そして結婚相手を探し始めた。若くて強くて情熱がある内に結婚しようと決めていた。
お仕着せだけはだめ。この人こそ全て、という人とめぐり合うためにもう一度飛ぶ事にする。
ついでに今しかないと自分に言い聞かせ、家を買う為にローンを組み、独立する為に準備する。
それらを一気にしようと心に決め、全部実行したらバブルは破裂。
当てにしていた自分独自の顧客は倒産。

後戻りは出来なくなっていた。もう身体は新妻を抱え宙を飛び出している。
幸せではちきれそうで、怖いものは何も無かった。
ままよ。空中遊泳のように泳ぎ始めた。
泳ぎ方も知らないのに。もうすぐ地面に落ちて激突死するのに。

それでも何とか助かった。必死の営業。開拓。一番苦手な事。
多くの侮蔑を受けうまく行くはずが無いと皆に言われ、昔のつては全て冷たく突き放された。

真っ暗な海の底深くどちらが上かも知れずにくるくる回る続けている自分が見えていた。
もうすぐ息が切れて死ぬ。光が全く見えない、苦しい・・そのうちに目が醒める。そんな日々の繰り返し。

そしてあれから22年が経ち事務所は立派に残っている。
ちゃんと黒字経営だ。
10回以上お世話になった銀行からの借り入れも今は全部返した。

私もここに立っている。何事も無かったような顔をして。
かつて親父に言われたよ。
顔が変わったと。深い眉間の皺は男としての証だけど、決して楽しいものではない。
昔の優しそうな顔の方が俺は好きだな、と言われた。

男として生まれ、生きて死んでいく。
ジェットコースターのような生き方もある。
決して誰にも勧められるものでもない。

大成功を収める華々しい人生とは無縁だ。
でも君は君なりの行き方を探す事だ。
誰にも教えられない。
危険で命を落とすかって?大丈夫
自分を信じきれる者には最期に救いが待っている。

私が言うのだから・・・。

男は一端両親の影響から離れなければ一人立ち出来ない。
そこには精神的な意味での「親殺し」が待っている。
過激な言葉かもしれないけど通過儀礼として避けては通れない。

さあ家を出よう。スマホを捨てよう。海に投げ捨てるんだ。
心の中の広大な海に。

吉田拓郎、大阪行きは何番ホーム

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