芦別物語

丹下健三

丹下さんが亡くなった。
きっとすごい反響があるんだろうな。
お葬式は東京カテドラルらしい。行きたいけどきっと混む。

カテドラルは大学生のときに初めて建築スケッチに行った場所。
写真とは異なり、曲線の作る陰影は、当時学生だった未熟な私には
手に負えなかった。光る金属体、おまけに3次元曲線では・・・。
結局真っ黒になったスケッチを学校に提出したっけ。

丹下さんは私が建築家になりたい!なろう!と強く決心したきっかけを
作ってくれた人。
当時小学校6年生、時代は東京オリンピック。
北海道の田舎から出てきた少年には、天地がひっくり返るような
出来事だった。

親が買った週刊誌に妖怪のような丹下さんの姿が写り
その背後に誇らしげに彼の設計したオリンピックスタジアムが
写っていた。
衝撃が走った。こういう職業があるんだ。
こんなに誇りに思えるものが他にあるだろうか?
田舎の出身の少年は心の奥に釘を打ち込まれたみたいになった。

西日で赤茶けた色に染まる薄汚れた6畳の和室で
こぶしを握り締め、きっとなってやる、と固く誓った、あの日。

そして大学の建築学科に入った。
知ってる建築家は丹下、黒川、くらいの素朴さだった。
当時、建築を目指した子供たちは、建築の虫達の集合だった。
コルビュジェ、サーリネン、吉阪隆正、の名前が乱れ飛び
丹下について語る同級生はいなかったよ。

2年生になってようやく、友人に丹下が好きなんだ、と打ち明け
驚かれたりして・・・、そうアイドル化してた丹下さんには
学生は手厳しかったのかも?

かくして隠れ丹下ファンを貫いた私目、
黙って、スケッチブックに彼のデザインノートを積み重ねていった。
何故か、彼を妖怪のように言う人が多い。
雰囲気がそうだから?

そういえば村野藤吾先生も90歳以上生きられた。
長生きしても、続けられる職業なのかしらん?
売れっ子は短命の人も多いけど・・・。

そろそろ「建築」に帰ろうかな?
少し商業建築をやりすぎたか?
でも建築に学術的純粋も商業的大衆的なんて区別、おかしいよね。
住宅が建築の原点なんて思わんよ。
人が生まれ、生き、死ぬ。その魂が生きる過程を形作るのが建築。
これは今も昔も変わらない重い命題だ。

丹下さん安らかに
http://www.space-clip.com/~k-art/archidata/tokyo/cathedral/

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