○掲示板 芦別物語掲示板 tama 2018年1月21日 167 コメント 芦別出身の方ならどなたでもお気軽に投稿して下さい。画像も添付できます。標準での投稿欄は一番下にあります。初回のみ承認制となります。 167 thoughts on “芦別物語掲示板” tabokichi1 2024年3月28日 at 6:59 AM 図書館で借りた、芦別 炭鉱〈ヤマ〉とマチの社会史を読んでみました。 子供の時代で、知らなかったことや忘れていたことなどを思い起こしました。 良い仕上がりの書籍だと思いました。 私の母親も樺太の産まれだったので炭鉱にやってきた理由が分かったような気がしました。 ログインして返信する tama 管理人2024年3月24日 at 9:50 AM 会員登録できなかった方に 登録メールをありがとうございます。 残念ながら登録不可と判断した方の殆どは記入内容の不備です。 例えば、芦別を離れた時期>日本、と書かれたり、 自己プロフィール等>特になし、という場合です。あと三井芦別と無関係の方もお断りしています。 特に昨今はロボットが記入する場合もあるので注意しています。 登録できなかった方は上記に注意してお手数ですが再度お願いいたします。 ログインして返信する tama 管理人2024年2月10日 at 8:42 AM 悲しいお知らせ 元百年記念館の館長の長谷山隆博氏が昨晩逝去されました。 okurappaさんがメールで教えてくれました。 とにかく驚きました。 まだ若かったのに、本を出したばかりなのに 館長を辞められたときにまた会いましょうと電話で約束したのに ただただ驚いています。 残念です。まだまだ話したいことが山のようにあったのに。 お悔やみ申し上げます。安らかにお休みください。 建築猫tama ログインして返信する tama 管理人2024年1月13日 at 9:54 AM 芦別 炭鉱〈ヤマ〉とマチの社会史が出版されました。 https://honto.jp/netstore/pd-book_33063649.html 元百年記念館の館長の長谷山隆博氏が編著されています。 この芦別物語でも大変大変お世話になりました。 お元気でしょうか。 また芦別に行きたいな。 尚、情報元は富山美一氏のfacebookです。 https://www.facebook.com/biichi.fujiyama 有難うございました。 ログインして返信する tabokichi1 2024年1月27日 at 9:19 AM 先日の北海道新聞に掲載されていました。 図書館に取り寄せのリクエストをお願いしました。 tama 管理人2024年1月27日 at 1:10 PM 記事の掲載有難うございました。 さすが地元の新聞ですね! tama 管理人2023年12月10日 at 10:04 AM 2年ぶりの投稿でしょうか。GOKENさんによる画像提供がありました。 高校の卒業アルバムに載っていたそうです。過去に一度だけ見たことがありましたが掲載権が無かったため泣く泣く見送りました。今回は晴れてこのサイトに載せられます。 GOKENさん有難うございました。 ログインして返信する tama 管理人2023年9月9日 at 9:38 AM 昭和26年生まれ、芦別市黄金出身の方からメールを頂きました。 返信いたしましたが、ご本人のoutlookのメールアドレスでは戻ってきました。 再度、ご確認の上お知らせください。 ログインして返信する iizawa 2023年5月28日 at 4:29 PM 以前このサイトに出会い、懐かしい芦別の子供時代を思い出していました。 古い炭鉱の社宅地図、写真等集め編集・掲載とご苦労様でした。 中学の同窓会で、このサイトについて紹介し感謝されたこともありますよ 時々見させて頂いています。 ログインして返信する tama 管理人2023年5月14日 at 10:05 AM 芦別物語 管理人の建築 猫たまです 。 ものすごく久々に投稿します。 時々は自分のサイトを見て変わりはないかチェックしています。 今 私ができること といえば皆さんからの入会申し込みを承認することだけです 。 現在 約130名の会員がいます 、この数字が多いのか少ないのか 私には判断できません 。 何せ もう活動をやめてしまったページですから。 皆さんは バックナンバーを見ている 購読者 という立ち位置になるのでしょうか。 このサイトはちょうど2000年頃から始まり 約20年間で活動を停止しました 。 その20年の間というのは毎週末 ほとんどの時間を このサイトの編集に費やしてきました 。 考えてみれば 半生のライフワークみたいになっていたようです。 おかげで急に中断した後はロス 状態になり、毎週末 何をしていいかわからず、つい仕事をしてしまったりなどという 笑い話にもなりました。 全盛期には このサイトがもっと有名になり 全国的な 炭鉱の有効なサイトとして認識されることを願ったものです。 事実 芦別市の100年記念館の館長の助力により 北海道新聞からも取材の申し込みがありました。 こちらは東京にいるのにわざわざ 札幌から出向いて私のことを記事にしてくれるという約束ができていました 。 それは残念ながら突然のアクシデントで中止されてしまいましたが、考えてみれば それが唯一マスコミに出るチャンスでした。 考えてみればそれで良かったのかもしれません。 私の性格的には。 今では このサイトは私の記念碑的な存在になっています 。 今更このようなものを作ろう という人は多分日本中にいないでしょう 。 そういう意味でもここにあるというだけで価値があるのかな とも思います 。 なにせ 自分の生まれた故郷ですから。 このサイトを見てくださる皆さんにとっても、大事な大事な 心が帰るべき ふるさとなのですから。 ログインして返信する ashi100 2023年2月17日 at 7:33 PM 昭和50年頃に西芦別町にあった、「闘魂太鼓」についてご存じの方いらっしゃいませんか? ネーミングの由来が知りたいのです。 ログインして返信する haradak 2023年2月16日 at 1:07 PM Tamaさん 私は英語とウェブサイト運営が少しできるので、何かできることがあったらお教えください。芦別物語を長期に渡って管理していただきありがとうございます。 ログインして返信する コメントナビゲーション ←古いコメント 藤沢の欣ちゃん へ返信する コメントをキャンセルコメントを投稿するにはログインしてください。
tabokichi1 2024年3月28日 at 6:59 AM 図書館で借りた、芦別 炭鉱〈ヤマ〉とマチの社会史を読んでみました。 子供の時代で、知らなかったことや忘れていたことなどを思い起こしました。 良い仕上がりの書籍だと思いました。 私の母親も樺太の産まれだったので炭鉱にやってきた理由が分かったような気がしました。 ログインして返信する
tama 管理人2024年3月24日 at 9:50 AM 会員登録できなかった方に 登録メールをありがとうございます。 残念ながら登録不可と判断した方の殆どは記入内容の不備です。 例えば、芦別を離れた時期>日本、と書かれたり、 自己プロフィール等>特になし、という場合です。あと三井芦別と無関係の方もお断りしています。 特に昨今はロボットが記入する場合もあるので注意しています。 登録できなかった方は上記に注意してお手数ですが再度お願いいたします。 ログインして返信する
tama 管理人2024年2月10日 at 8:42 AM 悲しいお知らせ 元百年記念館の館長の長谷山隆博氏が昨晩逝去されました。 okurappaさんがメールで教えてくれました。 とにかく驚きました。 まだ若かったのに、本を出したばかりなのに 館長を辞められたときにまた会いましょうと電話で約束したのに ただただ驚いています。 残念です。まだまだ話したいことが山のようにあったのに。 お悔やみ申し上げます。安らかにお休みください。 建築猫tama ログインして返信する
tama 管理人2024年1月13日 at 9:54 AM 芦別 炭鉱〈ヤマ〉とマチの社会史が出版されました。 https://honto.jp/netstore/pd-book_33063649.html 元百年記念館の館長の長谷山隆博氏が編著されています。 この芦別物語でも大変大変お世話になりました。 お元気でしょうか。 また芦別に行きたいな。 尚、情報元は富山美一氏のfacebookです。 https://www.facebook.com/biichi.fujiyama 有難うございました。 ログインして返信する
tama 管理人2023年12月10日 at 10:04 AM 2年ぶりの投稿でしょうか。GOKENさんによる画像提供がありました。 高校の卒業アルバムに載っていたそうです。過去に一度だけ見たことがありましたが掲載権が無かったため泣く泣く見送りました。今回は晴れてこのサイトに載せられます。 GOKENさん有難うございました。 ログインして返信する
tama 管理人2023年9月9日 at 9:38 AM 昭和26年生まれ、芦別市黄金出身の方からメールを頂きました。 返信いたしましたが、ご本人のoutlookのメールアドレスでは戻ってきました。 再度、ご確認の上お知らせください。 ログインして返信する
iizawa 2023年5月28日 at 4:29 PM 以前このサイトに出会い、懐かしい芦別の子供時代を思い出していました。 古い炭鉱の社宅地図、写真等集め編集・掲載とご苦労様でした。 中学の同窓会で、このサイトについて紹介し感謝されたこともありますよ 時々見させて頂いています。 ログインして返信する
tama 管理人2023年5月14日 at 10:05 AM 芦別物語 管理人の建築 猫たまです 。 ものすごく久々に投稿します。 時々は自分のサイトを見て変わりはないかチェックしています。 今 私ができること といえば皆さんからの入会申し込みを承認することだけです 。 現在 約130名の会員がいます 、この数字が多いのか少ないのか 私には判断できません 。 何せ もう活動をやめてしまったページですから。 皆さんは バックナンバーを見ている 購読者 という立ち位置になるのでしょうか。 このサイトはちょうど2000年頃から始まり 約20年間で活動を停止しました 。 その20年の間というのは毎週末 ほとんどの時間を このサイトの編集に費やしてきました 。 考えてみれば 半生のライフワークみたいになっていたようです。 おかげで急に中断した後はロス 状態になり、毎週末 何をしていいかわからず、つい仕事をしてしまったりなどという 笑い話にもなりました。 全盛期には このサイトがもっと有名になり 全国的な 炭鉱の有効なサイトとして認識されることを願ったものです。 事実 芦別市の100年記念館の館長の助力により 北海道新聞からも取材の申し込みがありました。 こちらは東京にいるのにわざわざ 札幌から出向いて私のことを記事にしてくれるという約束ができていました 。 それは残念ながら突然のアクシデントで中止されてしまいましたが、考えてみれば それが唯一マスコミに出るチャンスでした。 考えてみればそれで良かったのかもしれません。 私の性格的には。 今では このサイトは私の記念碑的な存在になっています 。 今更このようなものを作ろう という人は多分日本中にいないでしょう 。 そういう意味でもここにあるというだけで価値があるのかな とも思います 。 なにせ 自分の生まれた故郷ですから。 このサイトを見てくださる皆さんにとっても、大事な大事な 心が帰るべき ふるさとなのですから。 ログインして返信する
ashi100 2023年2月17日 at 7:33 PM 昭和50年頃に西芦別町にあった、「闘魂太鼓」についてご存じの方いらっしゃいませんか? ネーミングの由来が知りたいのです。 ログインして返信する
haradak 2023年2月16日 at 1:07 PM Tamaさん 私は英語とウェブサイト運営が少しできるので、何かできることがあったらお教えください。芦別物語を長期に渡って管理していただきありがとうございます。 ログインして返信する
図書館で借りた、芦別 炭鉱〈ヤマ〉とマチの社会史を読んでみました。
子供の時代で、知らなかったことや忘れていたことなどを思い起こしました。
良い仕上がりの書籍だと思いました。
私の母親も樺太の産まれだったので炭鉱にやってきた理由が分かったような気がしました。
会員登録できなかった方に
登録メールをありがとうございます。
残念ながら登録不可と判断した方の殆どは記入内容の不備です。
例えば、芦別を離れた時期>日本、と書かれたり、
自己プロフィール等>特になし、という場合です。あと三井芦別と無関係の方もお断りしています。
特に昨今はロボットが記入する場合もあるので注意しています。
登録できなかった方は上記に注意してお手数ですが再度お願いいたします。
悲しいお知らせ
元百年記念館の館長の長谷山隆博氏が昨晩逝去されました。
okurappaさんがメールで教えてくれました。
とにかく驚きました。
まだ若かったのに、本を出したばかりなのに
館長を辞められたときにまた会いましょうと電話で約束したのに
ただただ驚いています。
残念です。まだまだ話したいことが山のようにあったのに。
お悔やみ申し上げます。安らかにお休みください。
建築猫tama
芦別 炭鉱〈ヤマ〉とマチの社会史が出版されました。
https://honto.jp/netstore/pd-book_33063649.html
元百年記念館の館長の長谷山隆博氏が編著されています。
この芦別物語でも大変大変お世話になりました。
お元気でしょうか。
また芦別に行きたいな。
尚、情報元は富山美一氏のfacebookです。
https://www.facebook.com/biichi.fujiyama
有難うございました。
先日の北海道新聞に掲載されていました。
図書館に取り寄せのリクエストをお願いしました。
記事の掲載有難うございました。
さすが地元の新聞ですね!
2年ぶりの投稿でしょうか。GOKENさんによる画像提供がありました。
高校の卒業アルバムに載っていたそうです。過去に一度だけ見たことがありましたが掲載権が無かったため泣く泣く見送りました。今回は晴れてこのサイトに載せられます。
GOKENさん有難うございました。
昭和26年生まれ、芦別市黄金出身の方からメールを頂きました。
返信いたしましたが、ご本人のoutlookのメールアドレスでは戻ってきました。
再度、ご確認の上お知らせください。
以前このサイトに出会い、懐かしい芦別の子供時代を思い出していました。
古い炭鉱の社宅地図、写真等集め編集・掲載とご苦労様でした。
中学の同窓会で、このサイトについて紹介し感謝されたこともありますよ
時々見させて頂いています。
芦別物語 管理人の建築 猫たまです 。
ものすごく久々に投稿します。
時々は自分のサイトを見て変わりはないかチェックしています。
今 私ができること といえば皆さんからの入会申し込みを承認することだけです 。
現在 約130名の会員がいます 、この数字が多いのか少ないのか 私には判断できません 。
何せ もう活動をやめてしまったページですから。
皆さんは バックナンバーを見ている 購読者 という立ち位置になるのでしょうか。
このサイトはちょうど2000年頃から始まり 約20年間で活動を停止しました 。
その20年の間というのは毎週末 ほとんどの時間を このサイトの編集に費やしてきました 。
考えてみれば 半生のライフワークみたいになっていたようです。
おかげで急に中断した後はロス 状態になり、毎週末 何をしていいかわからず、つい仕事をしてしまったりなどという 笑い話にもなりました。
全盛期には このサイトがもっと有名になり 全国的な 炭鉱の有効なサイトとして認識されることを願ったものです。
事実 芦別市の100年記念館の館長の助力により 北海道新聞からも取材の申し込みがありました。
こちらは東京にいるのにわざわざ 札幌から出向いて私のことを記事にしてくれるという約束ができていました 。
それは残念ながら突然のアクシデントで中止されてしまいましたが、考えてみれば それが唯一マスコミに出るチャンスでした。
考えてみればそれで良かったのかもしれません。
私の性格的には。
今では このサイトは私の記念碑的な存在になっています 。
今更このようなものを作ろう という人は多分日本中にいないでしょう 。
そういう意味でもここにあるというだけで価値があるのかな とも思います 。
なにせ 自分の生まれた故郷ですから。
このサイトを見てくださる皆さんにとっても、大事な大事な 心が帰るべき ふるさとなのですから。
昭和50年頃に西芦別町にあった、「闘魂太鼓」についてご存じの方いらっしゃいませんか?
ネーミングの由来が知りたいのです。
Tamaさん
私は英語とウェブサイト運営が少しできるので、何かできることがあったらお教えください。芦別物語を長期に渡って管理していただきありがとうございます。